23歳の女の子からの質問に答える。

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恋をすること。つまり信頼関係をまだ築いてない状態で想いを馳せる状態。

「もし信頼関係を構築できたら、それは何になるのですか?」
私の日記を読んだ、23歳の女の子の友だちに聞かれる。
それを見ていた、19歳の男の子は「それは愛じゃないですか?」と言う。

一見その答えは全うで、全てを語っているようには思えるけど、人間の世界はとても有機的でそんなに話は早く進まない。と28歳の私は思う。
そして、この一つの河の流れのような中に膨大なストーリーが流れていて、語られているのだとも私は思うのです。

今日はそんなお話。
或る人の河の流れは小さな支流、いや、それは地面を濡らした雨が湧き出すところから始まるのかもしれない。


―――――――


「男の人って、少し可愛かったり気立てが良かったりするだけで、すぐ目移りするから本当に単純なんだなって思ったよ。ああいう子はさ、ちょっと気がある人には誰にだってそうするの。なんでわからないんだろう」

私の前で、彼女はカクンと肩を落として、鬼のように甘い暴力的なキャラメルソースとチョコレートソースのかかった飲み物を飲む。

私の同様な味のする暴力的な甘さの飲み物はとっくに氷だけになっている。彼女の相談を聞いてもう2時間が経過した。私はそろそろ、暴力的な甘さから抜け出して、ここのコーヒーは胃が痛くなるものの追加で注文して、話を他の飲み物にしたいなあとか思っている。

 

「鼻の下伸ばしてるくらいだったら、正常って思ったほうがいいんじゃない?」
「えっ?」
「いやいや、だって彼氏さんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「ほかの女の子に反応しなかったら逆に怖いでしょうよ」
「たしかに。萌ちゃんとこ3年近くも付き合っていてそういうことないの?」
「あ~、なんか最近、まりこだかマキコって女の子とよく会っているっていってたよ。なんかクラリネット吹きで、漫画描いて読ませてくれるんだってさ。」
「え~!!!!マジありえん。こんなに悠長にしてて良いの?!」
「いや、腹立たしいけどさ」
「それ、普通でしょ。ってか、浮気でしょ。その前に萌ちゃんが浮気を赦すなんてことがまずありえない。どうしたの?」
「しょうがないと思ってる。私が悪いし、浮気ならしていいよって言った。」
「え?ちょっとどういうこと?」
「色々と事情があるの」

 

ちょうど私は芸大の博士課程の試験に落ちて、同棲していたフランスにいる日本人の音楽家、年下の彼の元に戻ることが暗礁に乗り上げていた。もう戻れないかもしれない。キャパシティを超えて一生懸命に走ることにも疲弊していた。急な方向転換を余儀なくされて、いく方向もわからずにもがいていた最中。勢いだけで入った会社も肌に合わず、この稼ぎでは、彼の元へは戻れない、と、どうやって生きたらいいか分からずに悶々としていたのです。
クラシックの音楽家の世界は基本裕福な家庭出身の子どもが多くて、とくにパリに留学しているとなると顕著な話。彼はその中では珍しい一般家庭の出身だった。私自身は大学院に入ってから、コンペで成績を残したり、それなりにはしていたけれど、そう言った世界にはずっと不相応で、どこか虚勢を張って無理していたところは否めなかった。

 

夢の続きを見たい私と、逃げ出したくて叫んでいるわたし。

現実社会がわたしを半分にしていた。

「萌ちゃん、もう、君のことがよくわからない。僕がこんなに苦しんでいるのに」
「なにそれ。大変ね。」

「もう僕は、僕のことだけ考えて好きなようにしていいんだね?本当だね?」
「うん。好きなようにしていいよ。」

 

言えるわけがない。あなたがもし私が無鉄砲に向こうへ戻ったところで、あなたが私を支えてはいけない。支えていけたとしてもあなたはここに音楽を勉強しに来たのだから、わたしが重荷になってはいけないのは当たり前の話。私はあなたの未来を食いつぶすことなんて出来ない。だから、私は自分の弱さと何も出来ないことに目の前が真っ暗だったのです。毎日歩く道には、1万キロ先までの標識は全く見えず、だれもそこまでの道しるべをしてくれる人はいない。わたしはあなたのそばに帰れない。今すぐ、あなたの元へいたいのに。わたしの今の能力じゃ全く足りない。
わたしが最初に彼を突き放した。

「僕ね、最近マキコって女の子とよく会うんだ」
「へえ」
「彼女は漫画をたくさん描いてくれるんだよ」
「そうなんだ。よかったね」
「それが、すごく楽しくって」

 

付き合いたてのころの私と彼の話を聞いているようだった。私が描いた絵に彼が楽譜をつける。その楽譜を彼は録音する。そのときはまだヘタクソなたどたどしいピアノで。私の展示会にはその音楽が流れ、私の父はその場所で私の絵を初めて見た。
絵描きでもないクラリネット吹きのマキコという女にわたしは代替されたのかもしれない。アカデミーを放り出されて、そこで守られていたお粗末なプライドが社会から洗礼を受けていた最中だった為に、彼女がどんなものを作っていたかなんていうのは関係ない。私は簡単に壊れた。彼の話を聞いて、鈍く深い方へ逃げるようにして潜っていった。彼が語る話は騒音のようにしか感じなかった。大きなアコウガイの中に篭って、私は海の底で動かなくなる。彼はそのときは未だ、私のことを必死に好きだったのかもしれない。その彼女に私を重ね合わせて、埋められない部分を埋めようとしていたのかもしれない。それも分からずに、私はあなたに出来ることがない。と殻に籠っていた。

直ぐに、彼はマキコに振られたらしい。もっともだ。私の顔を重ねたところでその子には失礼なことなのだから。

 

―――――――

 

「やあ、萌ちゃん。行こうか」

はじめは私の好奇心が、年上の彼に興味を向けた。つまりこの始まりは恋だった。しかしながら無知な私は搾取ということばを知らない。年上の彼が待ち合わせ場所に現れる。半年以上、毎週のように会う彼。大人の男性らしく穏やかに私の前に居る。この人の考えていることはよく分からなかったけれど、私のことを可愛いと思っていてくれるようで、私の話を聞いてくれる。しかしながら、皮を剥がせば、彼は強欲な男だった。
今思うに、たぶん彼がほしいのは、その時の私と一緒で慰みだったのだろう。彼にとってのマキコと同じように、年上の彼も同様に私にとっての仮初めになっていった。
話せば話すほど、フランスにいたときの記憶が吸い取られていって、私は体温を失っていく。私のことを必死に愛してくれた記憶を差し出しているようだった。熱と引き換えに鈍感さと処世術をもらっている。そんな気がしていた。なんとか社会に立ち向かって生きていくには、熱を吸い取られたとしても彼の考え方が必要だった。条件つきの愛は「人の心の熱」を奪う。これは愛じゃない。等価交換だ。もしくは不平等な交換。この男の人は最初からそのつもりで私の前に居る。


わたしはあなたに何もあげないよ。
と、最初に私は言ったはずなのにいつの間にかすべて差し出していた。

水は乾いたほうへ流れていく。

 

自分の長い髪を差し出して夫の大切にしている時計のチェーンを買った妻の寓話のように、マッチ売りの少女が過去の夢を見て暖を取るように、私が凍え死ぬのも時間の問題となっていった。それでもなんとかして1万キロ先の彼の元へ戻りたかった。わたしがしていることがどんなに倫理上で間違っていたとしても、無条件に私のことを愛してくれた彼は向こうで待っていてくれるだろう。とひたすらに信じていた。あなたは私を暖かくまた見つめてくれると。
彼に浮気を許したのも、わたしが同じようにしていたからこそだと思う。自分に対する免罪符のように「あなたは自由だ」と言ったのかも知れない。たちはばかる大きな現実に私は弱すぎた。つまり、戦えなかった。真綿で絞殺されるように、お互い愛することを諦めなくてはいけなくなっていった。

 

「僕は君に対しての気持ちを何か月もかけて、ゆっくりじっくり殺していったんだ」
「君はこのまま落ちていく」

わたしが最後に彼に言われた言葉。
私たちを3年間守っていた世界はとても優しすぎたのかもしれない。外の世界では「無知と弱さ」がゆえに、すべての美しいものは食べつくされてしまう。そうやって獣みたいに美しいもの狙っている人がたくさん居る。バカは痛い思いをしないと分からない。
わたしは、そうやって、あっけなく失ったのです。


年上の彼と会った翌朝はいつもさめざめとしていた。私は自分の足も失って、生きているのか死んでいるのか、ただただ分からず、ただ、双方向の仮初めである代償を受け止める。目の前にいるキャンバスにはわたしのPieta(慈愛)がいる。ミケランジェロの彫刻で、瀕死のキリストを抱きかかえている聖母像。ベットの上で眼を開けると、すぐに目に入る。死んだキリストを抱きかかえるマリアの瞳をした幽霊が、死にかけている軍曹の頬に手を充てる。私は身体を引きずって筆を持つ。毎朝の光景。
これがわたしの慈愛だった。

さようならを言われた夏の絵。

最後のマッチがすり終わるときはあっけないものだった。
わたしが3年間で彼に開けた大穴の「代替品は私の大親友」だった。

「今度は真剣に愛す」

二人が私にわざわざ宣ってきたことばだ。女は前日に4年付き合った男を捨てたと、彼は言った。

彼と彼女は恋をした。
これが現実だったのです。

 

―――――――

 

恋は自分の弱さに向き合うことを強いません。
恋をすること。つまり信頼関係をまだ築いてない状態で想いを馳せる状態。
信頼関係は長い時間をかけて、薄くうすく繊細に紡いでいくものだと私は思います。

強くなければ人は愛せない。
恋と愛に違いがあるとすれば、わたしはこの過酷さの側面を話さずにはいられないのです。

やっと1年ほどが経って私は一人で生きていけるようになりましたし、作品も作っている。正直、落ちてはいないと思う。
もう、彼のことを好きになることも、恋することも、愛することもしないでしょう。

でも、一生懸命に無垢にやさしくしてもらった記憶は私のなかで、天気が良い日なんかに、たまに綺麗な音を奏でているのです。愛したことや、愛されたことは消えないのです。

だから、わたしは人を愛することがすき。


これで答えになるかな。
わたしの年下の友だちたちへ。