制作メモ わたしはなぜよーすけくんにタジタジなのか。2017.11.02

わたしはなぜよーすけくんにタジタジなのか。 

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よーすけくんというイケメンがいる。
お世話になってるギャラリーオーナーのミミさんにみせたら「そうでもない」とのこと。

このイケメンにタジタジなのだが、それと最近考えていることを足して二で割ったくらいで書こうと思う。

普段はウルトラ気の強い私が、全く勝てずにタジタジになってる。自分でもびっくりするくらい、この3つ歳下の男の子に鼻の下を伸ばしていて、アホか。とか思う。
人の好みはそれぞれとはいえ、イタリア人やフランス人のイケメンに迫られてもビクともしなかった萌子ちゃんがなぜ、こんなにもよーすけくんに弱いのか。

 

少しばかり考えてみる。

 

切れ長の目に黒い髪、適度に締まった身体に15cmほど私より高い身長。
"ごく薄味の北村一輝の雰囲気をまとった昆布だし"プログラマーさん。ちなみに男子校出身からの東大卒。

 

とりあえず、盛らずに描写した。
私は書きながらもう既にタジタジしている。(あとで昆布だしとか言ってしまったことで、書き直しを命じられるのではないかとかソワソワもしている。)

そんなよーすけくんは、話している時、目をまっすぐに見て喋ってくる。これだけなら世の中の1/3くらいの人がしていることだ。が、よーすけくんはタイミングとこの角度が結構絶妙に良い。ずっとまっすぐに見ているわけではなく、奴は切れ長のお目々で確実にキメてくるのだ。 

キメられた私は、相応なく、きゅんとして言葉を失う。

それが毎週のように仲間内で真剣にやっているボードゲーム会、油断という行動がゆるされない戦いの場においてもだ。おかげで先日は「戦犯レベルのゴミプレイ」をしてしまい、年下の女の子に叱られる。「もえこさんなにやってんですか?」と。5つも年下の女の子に。


大体ね、よーすけくん目が高確率でちょっと潤んでいる。それを私は視力が弱いはずなのに捉えてしまう。だったら駅の看板を眉間にシワを寄せずに読めるようになりたいし、映画館にてメガネを持ってくるのを忘れた時の絶望感をこの世から無くしたい。劇場でポップコーンを食べながら音楽を聴きにきたわけではない。目薬なのか。もう無理だ。もう、浴びるようにマタタビを食らって窒息死しかけている猫ちゃんなのだろうか。

 更によーすけくんはずるい。

最近は私のタジタジを利用して「俺の言うことに逆らえないでしょ?」と、90年代少女漫画のオラオラ系主オレ様感を配合して宣ってくるので、物心をその時代に培っている私は小声で「うん」としか言うしかないのだ。禁断の封じ手だ。

これには残念ながら他の選択肢がない。シチュエーションに対してはオーセンティックな反応をするのが世の常。枕言葉みたいなものがゆえ。
「俺の言うことに逆らえないでしょ?」「。。。うん」

 

もしこれが、よーすけくん以外にされたとして、そうだったらどうだろうか?

 私は冷静な頭をこねくり回してみる。そもそも、そんなこと言わせない。オラオラなのは萌子さまの方だ。そんなこと言わせる前に黙らせる。私は無敵だったはずだ。幾千練磨の萌子ちゃんだったはすだ。"どう猛"な獅子だった萌子ちゃんが、ネコちゃん大満足状態とはなんたることか。平成も終わりに近づいているからだろうか。それとも、この世の終わりも近いのか。

 

そもそも、ただ”イケメン”にいらずらにタジタジしている”だけでは”ないのではないか?


まず、今まで出会って来たイケメンたちを並べて、私が本当にイケメンが好きなだけなのか、若しくは違うのかを省みる。

頭の中で、下は14歳、上は60代までイケメンたちを並べてみたが、私は一度たりともタジタジにはなってない。どう猛な獅子としての己の誇りを保っていただろうし、或いは可憐な女性の体を成してただろう。例えば、14歳の美少年とはコーヒー屋さんで穏やかにクールなお姉さんとして体裁を保っていただろうし、60代のフランス人の男性には、「もし私が結婚できなかったら結婚してね」と小悪魔的にセリフを重ねて、「そうなると僕の寿命が先に来ちゃうから、早く結婚してくれ」と冗談交わす程度には理性をいつも保っていた。

 

ちょっとまてよ、よーすけくんはイケメンでは無いのではないか。

私は頭の一端に浮かんだ水草の生み出す酸素のような考えを丁寧にすくい取ってみる。


そういえば、私には脳内物質のドーパミンが不足して身体(右下肢)が動かなくなる奇病がある。、よーすけくんに会った後はすこぶる体調が良い。そうかドーパミンが出るんだ。しかも、たぶんそれだけではない。

 

これについてちょっと雑学的に解説。

話の方向が脳のしくみの話になる。

 

ドーパミンは身体の運動やモチベーション(快楽、欲求)などをつかさどっている脳神経物質。人間のやる気スイッチでもある。これについては後述するが、さらにドーパミンは恋をしたりすると放出される。わたしはこのドーパミンと普通の人よりも上手く付き合えない脳の構造をもっている。

 

私が5年前から仲良くしている奇病がある。それは脳内のドーパミン受容体がゆっくり欠落していくというもので、大体1万人に1人いるかいないかの割合で、20代で発症するのはもっと少ない。

ドーパミンの受容体が上手く働かないために、ドーパミン欠乏を起こすと身体にジストニア(硬直)ほかにも、自律神経が上手く働かなかったり、不具合が多く出る。自分の身体を丁寧に観察していると、大抵のひどい気の落ち込みは、脳神経物質の不足由来で来ている(右下肢のジストニアの状況と連動している)ことが受け取れる。

 

脳内にはドーパミンのほかに脳神経物質のノルアドレナリンという物質がある。この受容体は脳内の危機管理センターといわれていて、外部からの危険やストレスに対して「瞬時に様々な情報を分析し、経験と照らし合わせて、最前の行動を選択する」という性質をもっている。これは自分たちの身体を守る代わりに「不安」や「怒り」の素にもなる。

 

これをたとえを用いて説明すると、脳はこのドーパミンノルアドレナリンの二つの部屋をもった小銭入れで、二つの部屋の合わせた広さは決まっている。人はその小銭入れに入っている脳神経物質ドーパミンやアドレナリンを使って、感情や行動という”運動”をする。目標に向かって行動したり、感情を動かしたり、ストレスを処理したりとすべてこの小銭入れのなかでやりとりをしている。

そして、この小銭入れのがま口の部分。これがセロトニン神経というもの。このセロトニンドーパミンの過剰で欲求が暴走しないように、ノルアドレナリンの暴走で不安で押しつぶされないように調整をしている。脳神経物質のセロトニンは人間が「癒し」や「多幸感」感じることを生み出す役割を担っている。

 

脳内では大きく分けて三つの脳神経物質が活動しているのだ。

小銭入れの中身のバランスで生命活動が成り立っている。

 わたしの場合はこのドーパミンの袋が少なくとも、だんだんと穴が開いてしまっていくらしい。普通のひとよりもドーパミンが貯まりにくいのでよく動けなくなる。

 

さて話を戻そう。ドーパミン不足を補うためには恋することが手っ取り早いらしい。私が恋をしたとして、ドーパミンが出るけれども、右下肢の調子がそのあとに良い状態を保てるかというとそうでもない。

むしろ、調子は悪くなる。

 

恋をすること。つまり信頼関係をまだ築いてない状態で想いを馳せる状態。

 

恋すると「快楽」を求めるドーパミンがまず増える。このとき脳にほかに何が起きているかというと、ドーパミンを抑えるセロトニンが減少し歯止めが効かなくなっているそうだ。軽い状態なら「ドキドキ」というやつだ。セロトニンは減少するとものごとに過敏になるのが特徴で、程度が進むと「気になる」「不安」が止まらない強迫性障害を引き起こす。

さらにこれに加えてノルアドレナリンも多く出るために「不快、不安」が大きく募る。


脳の小銭入れの二つの部屋の大きさは決まっている。私は元々ドーパミンの部屋が少なめなわけで、ドーパミンが出たとしてもこの恋するノルアドレナリンがたくさん出てしまうと、脳内は「不快、不安」優勢な状態が容易に出来てしまう。この処理に気を取られているうちにどんどんドーパミンは不足する。

常にお相手が近くにいればいいが、それは個人技でないのが恋愛。私にとっては結果的には物凄い身体に負荷がかかる。

 

確かにイケメンでもなんでもに恋でもしていれば、そんなジェットコースター状態になっているだろう。


実はよーすけくんに関してはデレデレしているだけでそのような脳内物質の動きが見受けられていない。これについては、おそらく、わたしの頭の中ではドーパミンセロトニンがバランスよく出ているのだと予測している。

セロトニン自体は家族など信頼度の高い人間とのふれあいでも出るものらしい。
(お読みの方は冒頭のよーすけくんのことをお忘れになっていないだろうか?実はよーすけくんの話に戻すまでに1500字くらいある)

 

彼は、その意味でわたしのそのあたりのポイントをつくのが図らずも得意な人種なのだろう。

冒頭で書いた茶番も、そんな感じで見事にわたしのドーパ&セロトニンのスイッチをついている。

 

どう猛な獅子も猫と化す。
"ごく薄味の北村一輝の雰囲気をまとった昆布だし"にわたしは健康維持をしてもらってるのかもしれない。


タジタジさせていただいているのでしょう。と。

 

そんなわけで、これからも健康維持活動のご協力を宜しくおねがい。

よーすけさん。
あと、友だちたちへ。
もし私が動けなくなったら、救急車で彼をつれてきてほしいです。


たぶん、治るから。