20代前半の瞬きのはなし。

 

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いつも、お面ですが本日は顔出し。

 

というのもこの前、21歳の女の子が写真撮ってもらったと、写真を見せてもらっていて思った。

 ありり?私も21歳の時はこういう感じのかわいさがあったぞ。という。

わたし、いつの間にか28歳だったけ?

あれ28歳もあと2ヶ月ちょっとしかない、、

 

残念ながらこの類の20代初頭の雰囲気は今はもう無い気がした。どこいった?

というのも、この感じって、少女の時代が終わりかけで産毛が抜けたての鳥みたいなもん。

なんていうか、大人の女の子になりましたぁ!

みたいなね。大人っぽく見せたいのに、若さだけを武器にする鋭くて眩しい感じ。

本当にどこいった?

 

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写真を参照するとおわかりになるだろうか。

もえぴー21歳だ。この年齢くらいの美術やってる女の子はやけに「脆さ」という言葉を使って、今自身の身体が眩しいこととのコントラストに酔えるという特典もある。なんか脆くて壊れそうな雰囲気をまとってれば、"誰でもかわいくなれる"。

私も例に倣ってそんな感じだった。(写真参照)

 お恥ずかしいが眩しいね。

 

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これが28歳verもえぴー。 もえぴーはいつのまにか大人になった。
ちなみに今、同じことをしてくる女子には結構手厳しい。正しく言うと、人格構成にちょっと本格的なおばちゃんが入ってきたのだ。自分のことは棚に上げておく。いや、円熟し始めたのである。と言い直しましょうか。

 

初恋に捧ぐ - YouTube


初恋の嵐の「初恋に捧ぐ」という曲がある。ちょっとギターで練習してみる。このバンドのボーカルで曲の作者の西山氏はデビュー直前の25歳に心不全で亡くなっている。今生きていたら、ちょうど40歳。

 

でも、彼の年齢は25歳で止まっている。なんかふいにこの曲を聴いて、「あ~すごい。20代の男の子っぽい曲だな」とか思ってしまった。

 

”初恋に捧ぐ 全てを台無しにするような
大切なものを 心に放り込んでくれないか
夢から醒めたいんだ 僕に答えを見せておくれ”

 

そうだ自己主張の20代前半。こういう感覚で確かに恋愛していた。恋に恋していた。本当だ。
だけれども周りも私もいつの間にか、一緒に長い時間を過ごすことに恋の方向がシフトしていったり、家庭を作っていったり。つまり違う恋愛をするようになる。


この歌みたいな恋に恋する”恋の寿命”はとっても短いから。いつの間にかしなくなる。
(”恋”言いすぎだわな。笑)

 

女の子にとっての25歳というのは「女性になる」年齢だとわたしは思っている。

そのあたりから急に無駄な力が抜けて楽になっていった自分がいて、やっと人間っぽくなってきたなとか呑気に思っていました。性格には妖怪化が進み始めただけどね。

 

そして男の子の「男性になる」年齢は実はもう少しあとで、27~28歳くらいなのかなと。だから男の子の25歳という年齢は私の中では鬼門な年齢で、同じ年生まれの画家の中園孔二君なんかも25歳のときにふわっと向こうの世界に逝ってしまってたりする。25歳で逝ってしまった中園君と西山氏の雰囲気はどこか似ていて、なんていうか「きれいなものだけ残して帰っちゃった」みたいな感覚。少年と男性の間のような感じ。


その時を思い返すと、それから生きのこり?というか、そうやって「女性や男性になったり、なってたりした」ひとたちは、自分が失った「若くて鋭い感覚」みたいなのを彼をアイコンにして必死にむさぼろうとしているように見えて、言わなかったけれど同世代にも上の方にも「そんなに、年を重ねることって汚れて悪いことなんか?」と疑問に思ったりして、胸がつっかえた。

 

「才能のあるひとって、かみさまがふわっと持って逝っちゃうのかなと思うんです」

当時、たまたまO先生とお話していて、自分の口から、ふいに言葉が出てきて怪訝な顔をされたことがすごく印象に残っている。

そんでもってO先生が、

「俺が才能無いってことか?笑。絵のヘタクソな奴はムダに長生きして沢山描けってことなのかもな」と言ってたなあ。

 

今思うと、みんな自分が持っていたあの眩しさにもう一度包まれたかっただけなのかなあ、

とか思う。清らかな自分を纏いたいだけだろうなと。

 

今朝この曲を聴いていて、そんなことを思い出していたけど、実際にその年齢でしか感じ得ないことや考えれない感覚や、纏えない雰囲気っていうのはある。あるんだな。


他者から見る感覚には、その若さであったり”時が止まってしまったひと”のイメージは鮮烈だけれど、逆にそういう感覚と引きかえに失うかわりに、ほかの感覚みたいなのが自分のなかで育っていく。それが年を重ねていくことなのかな。と最近思う。

 

そして、年齢ごとの感覚でその期間限定で消えていってしまうようなものは、その本人にとってはあんまり本質的でない要素なのかなとか感じる。


00年代に20代前半である青年のアンニュイさというか、なんか老いや病気ではない”死”が近いような、若さだけで鋭利な眩しさみたいなの。


もう、あんまり要らないかもしれないね。

 

 

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とはいえ、痩せにくくなってきたので新陳代謝だけは20代前半帰ってこい。 帰ってこない。

 

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