愛されて、愛するにはどうしたらいいんだろう?恋愛について 2018.03.19 制作メモ

 

愛されて、愛するにはどうしたらいいんだろう?

こんな記事をみつけました。
もっとセックスに対してオープンになった方が良い。それは身体的にも精神的にも社会的にも凄い求められていることなのかもしれない。

www.buzzfeed.com

セックスは愛情表現をひとつとして、どうしたらいいんだろう?と沢山のカップルの需要がある。この記事からはそんな印象を受けました。

 

でもそれ以前に、

人の愛し方や愛され方はだれも教えてくれないし、

学校でも習わない。

 

相手に愛されて、愛するにはどうしたらいいんだろう?

今、こっちの方が知りたい人のが多いんじゃないかなぁと、よく思う。

この"相手"っていうのは恋人やパートナーを指します。

 

本日はそんなことについて書いてみようと思います。

 


愛され、愛することが始まるとき

今の時代、まず愛されて愛したかったら誰かと恋愛をしなきゃいない。
これは相手を探して、恋して、、と全部自力でやらなきゃいけない。たいへんだ。

恋愛の始まりについて調べてみたら、特に日本人の若い男女の7割以上は自分からアプローチをしない。いわゆる「恋されるの待ち」らしい。
男女どっちからとかは関係ないけど、恋愛ってどちらかが能動的にならないと始まらない。
でも、みんなあまり恋愛が得意ではないのがスタンダードみたいです。

100年くらい前だったら、宗教なり社会的共同体のルールの中で規則に則っていれば、結婚ができて、なんとかOKだったはず。乱暴な話だけど、いつかはセックスだってできた。昔は宗教がこれを取り仕切っていたけど、今はそうもいかない。そして、なんか親のやり方や、社会の常識もしっくり来ない人が結構多いのではないのでしょうか?

 

実は恋愛っていう文化が民衆化したのは、本当にここ半世紀くらいの話で、セックスだってエンターテイメントや二人の愛情表現のコミュニケーションツールまで、その位置づけがどんどん変化しています。その変わりゆく時代の中で私たちは生きています。


そんな社会全体の進化に対して、もしかしたら私たち人間の身体や精神がついていけてないだけのかなと、最近よく感じるのです。

親や祖父母の世代だって、恋愛からの結婚を試行錯誤して生きて来ている世代です。男女が置かれる状況、もちろん時代はどんどん変わっていく。今とは全然違う社会背景の中で恋愛をしてきました。でも、なんか私たち世代にとって上の世代のやり方がなんかしっくりこない部分も多い。つまり時代の速度感に合わせて親が子に安定した知恵を供給出来るまでに、人間の進化が追いついてないのが実情じゃないでしょうか?

 

恋愛のセオリーは自分でつくるもの?

だから、性愛も含めて恋愛も実はセオリーはあってないようなもので、個人個人が時代に合わせて、上の世代を参考にはしつつ体当たりで自分で能動的に学ぶしかないのでしょう。

わたしの男友人がある時、「恋愛は始まる前が一番楽しい」とか言ってたのですが、
正直、私にとって、恋愛をしていて一番楽しくないのは実は始まる前だったりします。


わたしは残念ながら恋の駆け引きとか、そういうのが全く出来ない。くっそ不器用なんですね。未だに、そこのゲーム性に面白味を感じられない。

そんな一瞬の何が楽しいの?と。

 

なぜかって、愛されモテ女になろうとか、そういう雑誌とかでたくさん書いてあるような、男性に媚びることは全く上手く出来ていないし、やっていると自己肯定感がどんどん下がって死にそうになる
これが恋愛と言うのなら、まさに本当に地獄。

 

正直これは私の経験則ですが、そういう部分を求めてくる男性は愛することが苦手だったり、勘違いしている男性の場合の方が多いと30歳近くなってやっと理解しました。

どんなにステータスを持っていたり、歳を重ねている男性でも、愛することについてさっぱり成熟してない人はごまんといるし、厄介なのは、頭が固くなっちゃって成長しようとしない人だったりする。
そういう人を好きになっちゃうと生き地獄だから、本当に気をつけた方がいいです。

 

恋愛ってどうやってするの?

きっと誰しも、はじめに自分が相手を好きになることは出来ることが殆んど。
もしそれで恋が成就しないと嘆いているなら、それは大抵の場合、自分の自意識との向き合い方がうまくできていないからだと思います。

もし時間があれば、とりあえず女の子はなぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか 読んで、男の子はすべてはモテるためである を読んでみるのをオススメします。両方読んでみるのもいいでしょう。AV監督の二村ヒトシさんの本で、これはエーリッヒフロム読むより、現代日本にとって良書だと思います。

 


恋に正攻法はないけど、うまくいかないのは大体、自分の自我の問題。

沢山失敗して私もやっとほんの少し分かったくらいです。この話はとっても長くなってしまうので、今回は割愛しようと思います。

 

じゃあ、恋愛って何だろう?

よくよく考えてみたら私の場合は「ね、とりあえず付き合ってみよ。」みたいな感じで始まっていて、”だんだん気持ちが大きくなっていく”ような、そういう恋愛じゃないと長く続かない。

それは全く自分とは違う相手を理解しようとして、二人が交わるところから、少しずつ自分が変わっていったり成長していくのが嬉しかったりすること。好きの可視域が段々と大きくなっていく。これが私にとっての恋愛かもしれない。

そして、それ以外は一方的な男性というものの人間理解をしようとしただけで、もしかしたら恋愛の経験ではなかったかもしれない。と、感じています。

 

恋愛をしていて凄い楽しいことや大変なことは、実は付き合ったあとに数え切れないくらいあります。相手にはっとさせられたり、感動させられたり、とても深く安心したり、ケンカもするし、それで深く反省したりする。

そして年齢と共にこれに社会的な兼ね合いが加わってきます。たくさん配慮すべき事や、自分の至らなさに出会う。いずれにせよ、こういう事が自分を沢山成長させます。

 

私はそんなことがしたくて恋愛をする。

それは愛し方や愛され方を体当たりで勉強していくことなんだと思います。

誰も教えてくれないことだから、相手と自分で試行錯誤して学ぶしかないんだなと。

 

やるなら一生懸命に恋愛をした方が良い

数は多くても、少なくてもいいと思います。大切なのはクオリティ。

一人一人相手と自分に向き合って、真摯に恋愛した方が良い。付け加えると恋愛は始まりから、圧倒的に傷つくことの方が多いし、愚かな事のほうが多いです。

でも、ずっと自分がコンプレックスだと思ってたことが急に相手の一言で溶けていったり、癒されたり、相手にとっては癒してたりと不思議なことが色々おこります。

わたしは、そこに何を持って成功やゴールか?というと恋の成就や結婚ではないと思っています。

むしろ、命はみんな限られているのだから、

そこに有るのは”生き別れ”か”死に別れ”くらいでしょう

 

そんな有限な時間を、かけがえのないものにしてくれる。だから一生懸命な恋愛をした方が私は良いと思うのです。

 

ちなみに今、わたしはパートナー同士がお互いのことをもっと理解しようとすることをサポート出来るような、”パートナー同士で読むホロスコープ”というワークを開発しています。それは、自分が恋愛をしていて”こういうヘルプあったらいいのになあ〜”の部分で作っていたりするんですよね。

やっぱりそれも、一生懸命恋愛をするから考えれる事なのかなと思っています。

 

本日はこのあたりで〜。

 

 

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