「クリスマスに告ぐ。わが友よ。お前はクリスマスを何だと思っているのか。」

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「クリスマスに告ぐ。わが友よ。お前はクリスマスを何だと思っているのか。」

 

友達と遊べると思ってて、クリスマスの週の土日のデートのお誘いを11月の時点で全部断っていたら、友達たちが色めき立ってきて、ひどく悲しい。

 

クルシミマス。私は硬派なので、そういう場あわせでお付き合いとか無理なのだ。硬派まで行かなくても軟式ではない硬式だ。

 

ねえ、考えてみようよ。れいちぇる。ヘンリー。ジョアンナ。
クリスマスのイルミネーションを見て、適当なディナーを食べて、どこも満室じゃよ。何をするんだ?その日に。そこまでして恋人が欲しいのか?

 

10年くらい前のクリスマスを思い出してみる。その人とは付き合ってはいないけど、クリスマスの2週間前にデートの約束はした。そう。あのとき私は何も知らされず連行されたんだ。”ドライブするからあったかい格好で来て”とは言われた。そして行った先でのアクティビティは夜釣りだった。私はその瞬間にちょっとこの人が好きになった。ドキドキした。あれはなかなかお勧めだ。釣竿につけたライトがイルミネーションみたいできれいだし、釣ったら食べれるし、星空の下、港町の潮風に退廃的な二人っきりを満喫できる。

 

「あのさ、楽しい?」
「うん、びっくりしたけどたのしいよ」
「それは、よかった。」
「うん。結構うれしい。」

 

「俺さ、失恋したんだよね」
「え、いつ?」
「3週間前」


「へー、傷心だねえ。彼女?」
「いや、彼氏。。」
「なんか死にたくなるね。黒い海を見ていると…」

 

という台詞と共に釣れたチヌ。自然の恵みの味をわたしは忘れない。もう全然会ってないけど、彼はそのあとに出会ったもう今年で10年近くお付き合いしている彼氏がいるそうだから、幸せになってくれてよかったと思う。

 

やっぱり、異性を釣らずに魚でも釣ったほうがいいのではないだろうか。

しかも聖書でイエスは魚をしきりに奇跡で増やしてくる。非常に宗教的な象徴としても夜釣りはいいと思う。潮臭いけど。クリスマスは友情を培うお祭りに変えたほうがいい。出来合いで付き合おうとか、デートに誘ってくるやつは絶対何かある。その日から私は硬派になることを固く誓った。

 

「ねえ、なんで私誘ったの?」
「朝まで耐えれる体力と精神力があるから」
「そっか。」
「あと、暇そうだったから」
「おう。」
「朝まであと3時間か」
「あと、もう1匹くらいは釣りたいとこだね」

 

こうやって、毎日毎日文章を書くのは一種の筋トレだと思っている。随分前から事あるごとに色んなものづくりに関わる方に「きみは社交的なんだけど、自閉的なひとだね」と言われることが多くて、結構自分でも困っていたりする。あと、何か作り終わるまでは自分がしていた行動のつじつまが合わなくて、自分でも不可解だったりする。

 

まず、頭の中には毎日ごちゃごちゃと何かが溜まっていって、文章を書くか、絵を書くか、本を読むか、映画を観たりして流してあげないと気が狂いそうになる。


24時間をどうやってわたしは使っているかというと、1.5時間は食事、6時間は睡眠、0.5時間は好きな人のこと、3時間は仕事、あと10時間くらいは何か作るためのことに使っている。私の頭の中のほとんどは作ることばっかり考えていて、なんか作ることに結びつかないとほとんど人に対しての興味も沸かいていないのではないのかなと、たまにぞっとすることがある。

 

あーあー。普通の常識と良識ある女の子に育ちたかったなあ。


なんで、デート断っちゃったんだろう。しょぼん。(´・_・`)