白い髪と月の巡りのはなし。
人を受け入れる
どう言うことだろうか。
受け入れている素振りをすれば、安易に好かれるかもしれない。それをしたところで全てがしょうがなかったり。
少しでも受け入れたいのに自らの不器用さで、から回ることの繰り返しでどうしようもなくなること。途方に暮れているうちに、時間は流れて月は巡る。
今朝方やっと油絵具を触れるところまで自分を持ってこれた。ともかく時間がかかる。
三大欲求の上に、絵を描くことがあることがよくわかる。禁欲の先の脳内麻薬は恐ろしい量が出る。筆をのせる度にドバドバ脳内麻薬が出て目眩がする。
この多幸感はたぶんセックスなんか優に超えている。
たぶんそれは私の身体は女性で、行為自体がインプット側にになるからなのだろう。絵を描くことは強烈な判断力を求められるアウトプット。男性を身体で受け止めるのは結構すてきなギャンブルで、先には絵を描くことが据えられてたりする。身体的なリスクにおけるギャンブルというよりも、膨大な情報を身体の内側で取り込もうとしてしまうところに危険が伴っている。安易にすると寝込んでしまう。いわば採集に近い。
大量の情報が言語化されながら津波のように襲ってくる。何度もなんども。
それをまた、宥めるように、身体を重ねてしまうか、言葉を重ねられれば角が取れて徐々に慣れしたしめるのでしょう。
だけれどもそんなに優しく世界は出来ていないのです。
だからこそ、あんまり悪戯に身体を重ねてはいけないとか言われるのかなとか思う。知りたいと思う欲求はとても危険かもしれない。それでも知りたいと命知らずに手を伸ばすのが人間。
月が巡って、相手の色素がこぼれ落ちる。
それでも、自分の中に少し残った相手を見つける。それを私が受け止められた量とすれば、それは髪の毛3本分くらいに過ぎないのかもしれない。
時間をかけて知ることを目の当たりにする。
ここに女性と男性の身体の作りの違いを感じてしまう。
少しずつ、染まっていくことをひたすら願ってしまうのです。
不思議なことに。
少しずつ書き換えられていく自分を据えながら絵を描く。