カバンの中 2018.05.09

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久し振りに絵本をあげます。これは描こうと思ってる絵の骨格を作るような作業なのかなと思います。

 

 

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"色々、熱病に冒されて、人為的なところでゴロゴロな部分も、全部、隕石に潰されてキレイになってしまえば良いのに。

暴力はいけないよと怒られても、超自然的な暴力装置での円満解決。"

 


というお話。

絵の世界は、ずっと同じ顔を描いていて、この顔の世界は私の自閉的な部分ですが、一般社会に生きてるとそれじゃあ生きていけないので、あんまり閉じこもってもいられません。

 


閉じ籠もらないで生きるのって、人に囲まれて、それなりに自分を受け入れてもらえて器用にもなってなかなか愉しいのですが、やっぱり自分の真ん中はこういう部分にあるような気もしてますし、違和感ばっかりが積もっていくのは否めません。

 


絵を描くまでは素潜りによく似ていて、一般社会の人の生活をしていると、日常をこなす事やスイッチを変えて考えることが多くてなかなか凄い鮮烈なところ、深さまで辿りつけないなぁっていうのが最近思うことで、無理に潜ろうとしても動かないので、不可解な部分に突き動かされるまで動かなくて良いんじゃないかなとも感じます。

 

あと、近くにいてくれる人にはこの部分を一番受け入れてほしい自分がいるんだなぁとか気づいてしまったりします。

 

上手くできないくせに人に対して受け入れられるような、やり方の巧さに行こうとしても筋違いだったりして、深いところまで潜れない。

ずっと、そんな器用なことしたくない!と叫びたい自分がいます。


早く家帰ってキャンバスと格闘したい。