赤い靴の踊り子 2018.05.27

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2018.05.26

AM8:16


一生のうちで一番好きなことに出会えるっていうのはとても幸せなことだ。地獄でもある。

 


本当にやりたいことなのかどうか。

それは好きだから出来るんではなくて、そういうことを試されることが何度もあって、それでもやり続けて出来た筋力みたいなところからやってくる。だから結果的には好きって言葉になるのかなと最近思う。

 

 

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いい手が打てると、気が狂いそうなところから身体が少し軽くなる。すぐにベッドへ倒れこむ。

 

叫んでしまいそうなくらい痛くっても、

出会ってしまったら逃げちゃいけない。

 

 

 

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2018.05.27

AM7:16

 


私が好きになってしまったのは、物凄い孤独なことだ。ひとりぼっちだ。

 


厄介なのは、物凄く昔よりもひとりぼっちなのを嫌がる動物的な自分がいることだ。

 


どうせ一人だからとは思うけれども、

一人でいたら気が狂ってしまいそうだ。

と、そんな感覚が暴れ出す。

 

 

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今回描いている絵は、

そういった内面的な葛藤と自己鍛錬をモチーフにした絵だったりする。

 


作ってる私は、正直いうと地獄だ。

でも、紙一重でいい手が打てた時に、ほんのわずかな時間だけれど安堵した気持ちになる瞬間もある。

でも、まだ直ぐに次の手を考えなきゃ地獄がやってくる。

 


外の世界に出ていくと、真綿で喉を締められるような穏やかな地獄が広がっている。

だから、お腹の中のマグマみたいなところが、ともかく描け!と叫んでくる。

 


とはいえ部屋に篭って、こんなシンプルな地獄と天国に向き合っていることが幸せってのもなんか変な感覚だ。

 


アンデルセンの書いた、赤い靴の踊り子がずっと踊り続けたのは、靴が脱げなかったからで、踊るのをやめられなかったからなのではないかと思う。

 


時たま人と重なり合って靴が脱げた気がしたとしても、それは一瞬の気休めでしかない。

誰かを愛したかったら、踊り続けるしかないんだろう。