男のひとのかんさつ 〜野心を飼う生き物〜

男のひとのかんさつ

f:id:kudomoeko:20180613143431j:image

 

私の趣味は”男のひとのかんさつ”だったりします。

自分も女性で、女だらけの中で育っているので、自分の中で欠損しているのが”男のひと”という生物に対する認識。
普通の女の子っていうのは、共生の方法を知らず知らずのうちに習っていたりしているみたいなのですが、私にとっては夏休みに一生懸命関わるカブトムシやクワガタムシみたいなもので、もうワケがわからないし、興味が沸く

 

この摩訶不思議で単純な生物たちと、どうやったら共生していけるのだろう?

というのが人生のテーマのひとつでもあります。


本日はこの”男のひと”というものの観察日記を書こうかなと。

 

野心のある生き物

おじさんのお友だちたちとおしゃべりするのと、
まだ野心がメラメラになる前の10代の若い男の子とおしゃべりする
の実は話で盛り上がる内容が良く似ていたりします。


哲学的なという言葉っていうのが、カッコいい言い回しかもしれませんが、よくそういう話になります。それは、おじさんになると根源的でシンプルな部分に向き合える余裕が出来ていくのかなと感じています。

 

昨晩は、仲良しのおじさんから温泉で三時間ゆでだこになりつつ、神社通いをしていたら気づいたことがあったとご連絡。

 

「健康に感謝して、仕事とはなんだろうということを問いたら、出世の意味がわかった」


「おお!どんなことがお分かりになったんですか?」

 

「多くの人を幸せにすること
=出世
世を出れるのだ」

 

確かにこのおじさん、平日の昼間に世を離れて露天風呂で3時間ゆでだこになれるわけですもの。極楽極楽って、、良いなぁ。

 

「ではでは、おじさん、苦行する僧侶は?これ出家というみたいですけど」


「ううっ、、わからん」

 

「出家っていうのは、世から出て仏とか神の道へ行くことを差すそうですが」


「なるほどねえ」


平安時代なんかは社会的構成員抜けるときみんな出家してたみたいです」


「うむぅ、、」

 

出世するには野心が必要と通説には言われています。
世を出るってことは、どんなことだろうと。
思うに、これは”野心離れ”をすることなのかもしれません。

 

彼らは野心を飼っている

男の人って生き物は野心っていう生き物を心に飼っている人を多く見ます。


野心っていうのは社会で、

凄くなりたいとか、

強くありたいとか、

大きく在りたいとか。


んで、この野心が一番元気になるのが20代半ばくらいからなんだなあとか感じます。

 

そして私も野心があるかなとか思っていたのですが、よくよく観察してたら全く別物だったということに気づきました。


わたしの野心っぽいものは、生きる上で、私にとっては特にモノを作るときに邪魔になるものです。

 

彼らの持っている野心っていうのは、もっともっとピュアでシンプルなのです。


ピュアでシンプルなパーツっていうのは、回路を作ったときにはあまり邪魔(抵抗)になりません。


それはつまり彼らの心のなかの野心ってパーツはエネルギーをある方向に安定させて放出させ続けさせる。


特徴としては、”レギュレータ(調節器)”みたいなものになっているのかなと感じます。

 

私にとってはこれに似たものっていうのがレジスタ(抵抗器)”みたいになって熱を発してアウトプットを阻害するので、彼らのそんなピュアな部分がうらやましいなあとか思ったりしてしまいます。


確かに男の人の単細胞さに女性はがっかりすることが多いかもしれませんが、これは頭のつくりの違い。

筋肉の量が男性が多くなったり、女性が痛みに強かったりと構造の問題かなと。
もちろん個体差はありますから、女性でも筋肉が多い方がいたり、痛みに耐性が強い男性もいるでしょう。

 

そういったシンプルな自分とは全く違った生き物が持っている”野心”っていうものがあります。

 

野心っていうのは、彼らが社会という世界と出会うころから備わるパーツなのでしょう。


ちょうど、

冒頭で話していた10代の若い男の子のころに装着され始めて、

20代に入ってフル回転して機能するお兄さんになり、

おじさんになって機能がゆるやかになって、

おじいさんになると解脱する部品のようです。


野心というパーツは、レギュレータですから電流や電圧を一定に保つ装置です。

とくにこの機構が一番働いているときに弊害としてその分捨てる部分も出てもくるのかなあとも思いますね。

 

彼らの回路は直列ぎみに組まれておりますし、それはすなわちどんなに多くのエネルギーかけていてもそれはそのレギュレータのある回路に向かってのみ、かかってしまいがちと言うことでしょう。


ほかのところに気が回らないのが野心家の特徴っていっても良いかもしれません。

大体野心家はみんな若いうちは非情な奴らばっかりなのだそう。野心あまって家庭を顧みず、、ってことがあったりと。

 

あと、姐さまがいうに

こういう男のストライクゾーンっていうのは、1種類しかない。目は前しか見えない。

とのこと。笑

歳を取ってくるとやっと色々な女性や人間が見えてくるんだとか。

 

子曰、
吾十有五而志乎學、
三十而立、  
四十而不惑
五十而知天命、
六十而耳順
七十而従心所欲、不踰矩

 

(読み下し文)
吾れ十有五にして学に志ざす
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳に順たがう
七十にして心の欲するところに従えども、矩(わく)を踰(こ)えず

 

孔子論語の一節でこんな有名なものがあります。 この説はキャリア論として今でも良く使われる一節。


孔子は当時の平均年齢としては相当長い80歳すぎまで生きてまして、これはちょうど私たちの平均寿命っていうのと重なってますね。


なにか孔子を現代的に置き換えてみると、相当な野心家の男性だったのではないかなと


改めて、この文章を読んでみると、また野心というパーツが見えてくるものです。

 

こんな野心から離れて、誰かのために働くことが出来るようになるとき。
これを出世というのかもしれませんね。

 

また、出家についてはおじさんと今度ご飯食べに行くときにでも話してみようと思います。

楽しみにしてまするよー。笑