私のなかの女王さまに従え 制作メモ2018.05.24

 

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Renne de moisissure,
カビの女王さま
2015,oil on canvas 1170×2070×30mm

 

 

ちょうど三年ほど前に描いた絵。

アトリエで食べていたパンに生えた見事なカビから着想を得た絵です。


カビの女王さまは同じカビの仲間達を率いて、この世の終わりを前にして佇んでいる。

仲間は不安そうにも無邪気にも、

彼女を取り囲んでいる。
彼女は女王さまではあるけれど、

未だ自分が”お姫さま”であったことに気づかなかったのです。

 

当時こんな文章と共に描いた絵です。
絵の中の女王さまは紛うことなく私自身で。その先を予言したような絵になったような気がします。

 

 

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昨晩は友人の個展を訪ねてきました。
人の展示は年に2~3回くらいしか行かない出不精なので、久々に展示を見てきたことになります。
雨がしとしと降っている平日の夜、たまたま作家の大先輩やその生徒さんなども出くわして、そして、一緒にお食事と歓談。

 

最近は作家さんに囲まれた生活に非常に遠いところで日常を過ごしているので、

彼らのテンポ感というか、物質を扱っている人たちが持つ、根の張った感じがすごく懐かしくて心が穏やかになるものです。

 

毎日触れるもの、向き合うもの、過ごす時間で人の形は変わっていく。 

 

私が知っていて過ごしていた世界と、殆どの人はとても遠いところで生きていて、その遠くの世界にやってくると、私は外国人みたいな状態になります。


言葉が通じる場所にいても、そこは外国なことが殆ど。

私は絵描き村から来た外国人で、外の世界で過ごしているな、とよく感じています。

 

私が居た”絵描き村”の話をちょっとしましょう。

絵描き村に居たときは、絵描きのお父さんがいて、お母さんが居て、たくさんの兄妹がいて、私は筆だけを持って生活していました。
彼らは、血が繋がっている家族ではないけれど、私の大切な家族でもあります。


絵描き村では、自分起きた事を表現することはあたりまえのことで、絵を描くことは息をすることみたいなものなのです。色の粉を混ぜ合わせて、それに命を宿させる。

そういうことをしている人たちの村ですから。

 

絵描き村の住人たちは、絵や作品があると、言葉が違う国の人同士でも通じあうことができたりする。 

つまり、もう一つの言語を持った人たちでもあるのでしょう。

 

でも、私たちは作らない人のことが分からないし、

作らない人たちは私たちのことが分からないのです。


たまに絵描き村の人々が作ったモノが大好きな外の世界で暮らす人もいて、その人たちは絵描き村をよく訪れてくれます。

 

作ったものを通して、交流を深めたり、私たちは出会ったする。それは時には時代を越えていく。

私が知っていた外の世界の人は、そんな心優しくて友好的な外の世界の人たちばかりだったみたいです。

 

そうやって作っている人間は、作品を知ってもらうほうが自分を知ってもらうためには早かったりしますし、その人を理解するには作品なしでは始まらなかったりします。


それは、私たちの言葉だからだ。

わたしはそんな絵描き村の出身者だ。


わたしたちは、そんな時代や世代を越えた、喜びを知っているし、それに伴う苦しみや、深淵に出会うこと、興に乗ずること、

 

人間として生きること自体において、一種の信仰のようにして励んでしまうのです。

 

 

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Au commencement, la parole
la parole avec Dieu
Dieu, la parole
Elle est au commencement avec Dieu
Par elle tout est venu
et sans elle rien n’a été de ce qui fut.
En elle, la vie
la vie, lumières des hommes
et la lumière brille à travers la nuit
la nuit ne l’a pas saisie.

<la bible, nouvelle traduction, Bayard >

 

はじまりは、ことばであった。
神はことばと共にあった。
神は言葉であった。

この言は、はじめに神と共に在った。
全ては言によって成り、
言なしに成ったものは無かった。

言のなかには命があった。
命は、人間を照らす光である。
光は、暗闇のなかで輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。


ヨハネ福音書の序文を引用してみます。
私はキリスト教徒ではないけれど、この序文がとても好きな文章でもあります。
膨大な過去の絵描き村の住人たちが残した作品たちに出会うたびに、そんなことを思いだしてしまうのです。

 

 

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今日も朝から制作が始まります。

私の作品は、私自身が姿を変えた姿を描いている。

私のなかの女王さまの姿を描きたくて、この絵は描いています。
他にも沢山の姿を変えた私が登場していくでしょう。

 

7時になったので、今日もまた外の世界の人間に変身する。

 


今日も、良い日でありますように。

遠くに居る人へ、私へ。