エロ本にまつわるエトセトラ〜もえこさん高校生編〜
エロ本にまつわるエトセトラ
今、エロ本が絶滅の危機に曝されているらしい。
00年代からインターネットの普及により紙に印刷されたエロ、テープに録画されたエロではなくエロの供給は画像や動画に代わっていった。エロ本は春画と同様にそのうち骨董品になるかもしれない。
エロにおいて大切なことはどのように手に入れるかの過程でもある。
私の世代はぎりぎり河原に落ちているエロ本を拾って男子がシェアリングする時代で、エロ本黄金期に青年を迎えていないため、アンダーグラウンド文化人の恩恵に直接は肖っていない。
思うに、ここまで性に対してオープンソースでなかった時代のエロ収集家や研究者は情報を集めていくという上で障壁や手間が多かったことから、文化人的な匂いを纏うことになるのは必然な気もする。その情報や資料を得るためにレイヤーが必要なものほど、知的な素養を必要とするからである。
また、70年代からのアンダーグラウンド文化とエロの融和性は高く、ガロ系~80年代SF系~90年代ホラー漫画の系譜や日活ロマンポルノにおいての若手映画監督の醸成など非常に芸術性の高い文化が創造されている。個人的なものではあるが、エロに関わらずそういった文化人や蒐集家の私設美術館やコレクションを見るのが趣味なのもあり、このようなアナログなメディアが起こす有機的な科学反応みたいなものになぜか愛着を持ってしまう。
エロというジャンルに関しては女性がぺらぺら話すのは今の時代でさえも日本ではあんまり良しとされないうえ、お下品と見られてしまうのですが、恋愛の延長としてもここまで人間が愚かになれて人間らしい姿を露呈させるものはないですし、どこまでも神秘的に見えて題材として魅力的かつ普遍的なものはないと思う。ちなみに、何がどうエロいかに関しては分析と説明はわたくし得意だ。
そんな私の”エロ本”に関する思い出話を今日はしようと思う。
時間は遡り、わたしは高校生になる。
高校生の頃のもえこちゃんは思春期特有の尖ったロック精神あふれる女子で、今ほどおっさん&少女性を自分のハートの中に乖離させていなかった。ここは念頭に置いていただきたい。
これは初々しいキュートな思い出のお話です。
その時私は美大受験を志していて、同じ美術の道を目指す学友と文化祭の展示の準備をしていた。
各々、自分の作品を制作する。高校生のわたしはロックな少女だったのでともかく尖ったことがしたかった。
作品のアイディアを考えていく上で、当時ハマっていた陰鬱としたロシアアヴァンギャルド的なコラージュの作品が作りたくなったのでありました。
普通にチラシやオシャレ雑誌のコラージュをしたところで意味がない。わたしはコラージュする素材にこだわりたかった。
希少価値のある素材、、、、
社会に隠された、、
そうだ。エロ本だ!
と。もう、既にこの発想の時点で今考えると赤面モノで、女子高生が考えてるという時点でキッチュなスウィートメモリーなのだけれど、語らせていただきたいのです。
エロ本は中高生にとって手に入りにくいモノである。道端にエロ本を散布する神さま(怪人)が10年位前までは未だよくいて、それを男子が拾ってきて、わたしも見せてもらったことがあったのです。
その記憶から”どうせヌードだろうから使いやすいだろうし、ロシアアヴァンギャルドっぽくなるだろう”と私は睨んだわけです。
とはいえ、女子高生にとってはエロ本は未知の存在であります。
つまり、どうやって手に入れよう?と。
そんでもってとりあえず、一番仲の良かった1つ上のクラスメイトで男友達のノリちゃんに聞いてみたのです。
私の通っていた高校は一応進学校ではあるものの、単位制なのもあり、帰国子女や中途で入ってくる学生も一定数いてノリちゃんは同じクラスの年上の友達だった。洋楽が好きでニルヴァーナが好きという共通点で仲良くなった気がします。
「あのさ、作品つくるのにエロ本使いたいんだけど」
「おう、それでどした?」
「エロ本について詳しく教えて欲しいなって」
「ん?」
もし、これが少年マガジンだったら間違いなく男子の妄想炸裂のシチュエーション。女子高生の女の子にエロ本について教えてと言われたらあなたならどうするだろうか?
ノリちゃんがどう思ったかは知らないけれど、私は続ける。このあたりに年上のメンズに対する萌子ちゃんの小悪魔的片鱗が垣間見えると、今更ながらに思う。
私はちょっと年上のノリちゃんに知見を求めたわけなのです。
「エロ本がほしいんだ」
「え?!」
「エロ本でねコラージュ作品つくりたいんだけどね。素材が欲しくて」
「マジか!」
「ほんで、エロ本どうやって買うかもわからないから。聞いた。」
「・・・なるほど。」
このセリフ、絵になる台詞である。女子高生のイノセントな創作意欲。放課後の学校。青春時代。ちなみに私のあだ名はクラスメイトには”モコ”だった。
「う~ん。モコがどれだけの素材を求めているか分からないけど、期待するほど良い写真素材じゃないかもよ」
「なんで?」
「なんていうか、エロ本って中身を確認して買えないんだよね」
「うん」
「だから、表紙に対してのガッカリ感が結構あるんだよ」
「そなの!?」
「そうそう。だから結構ギャンブルだよ。お勧めはしないかなあ」
「でも、ほしいなあ」
「ってかまだ買える年齢じゃないよね?」
「うん」
おそらくノリちゃんがエロ本を手に入れるのは、鄙びた老夫婦がやっているような書店なのだろう。今だったら”手に入れるまでがエロ本”というのを知っているので、コラージュということを考えたら他の方法を考えたかもしれないが、私はあきらめられなかった。
というか、こうやって手に入れ方を工夫するのがエロ本の醍醐味ではあるし、しかもノリちゃんはとっても丁寧にエロ本の真髄をいやらしさ無しで教えてくれている。すっげーいい奴だ。
「あのさノリちゃん、お願いがあるんだけど、、」
「ん?どうした?」
「ノリちゃん、エロ本買ってきてほしいです。」
「え?!モコ、まじで言ってる?」
「だって、法律的に問題あるならお願いするしかないし。作品つくりたいし」
「おう、まあ、いいけど。」
”作品がつくりたい”美術系女子高生最強の文言である。これは完全にイノセント・バイオレンスだと思う。
10年後の萌子さんが思うに、19歳のノリちゃんにエロコンテンツを買いに行かせる。つまり、今の自分が親交のある同じくらいの男の子に出来るか?と聞かれると出来ないに決まっている。ってか、何してんだ高校生のわたし。
たぶん、ノリちゃんは相当良心のある大人な男子だったのだろう。
「どんなのでもいいから。ノリちゃんにまかせるね」
「お、おう。まじか。」
「だって、わたし分からないもん。」
”任せる”とか、もうお前は悪魔だ。デーモン小暮閣下が天使に見えるレベルだろう。おそらく、私は彼が何を買ってくるかによって、彼自身がいろんな意味で変に見られないようにすることに相当に気を使わせたことだろう。ノリちゃんは寛容だけど、おそらく普通の男子だもの。
ちなみに、あなただったら何を買ってくるだろうか?
「とりあえず、どんなものがあるの?」
「とりあえず、制服モノと熟女はマジでやばい。人妻モノや素人モノはまだいけるかな」
「へ~そんなジャンルがあるんだね。知らなかった。のりちゃんはどれが好きなの?」
「え?それも分かってなかったの?」
「うん。で、どれが好きなの?」
しかし、そんな良心の塊の彼に萌子ちゃんはマジで容赦ない。
すっごいドライな上に知的好奇心だけで、19歳の男の子に色々聞きまくる。今思うと、本当にけしからん女子高生。このあと、ノリちゃんに一通りジャンルの特徴の説明をさせて理解した。ノリちゃんはちなみに洋モノの存在を教えてくれなかった気がする。洋楽好きとはいえ、ドメスティックな男子高校生だったからなのか。
「う~ん。俺は普通のかな」
「そっか~。じゃあ、”普通の”と”素人モノ”お願いしていいかな?」
「じゃあ予定もあるから1週間くらい待ってもらってもいい?」
「もちろん!金額分かったらメールで教えてね。ありがとう」
「おっけ~」
このようにして、私はノリちゃんの協力を経て人生初のエロ本を手に入れて作品を作った。実際買ってきてもらったエロ本は2冊くらいあったのだけど。王道な女優さんたちを紹介するようなもので、彼の言うとおり、確かに写真素材としてはあまり使い易いものではなかったと思う。これが彼の言うガッカリ感なのかとその時に認識した。エロ本は基本ガッカリなのだ。私はノリちゃんに教えてもらった。
(言い忘れたけど、実はわたしはこのとき”ソフトモヒカンにセーラー服”で学校に通っていました。よって皆様の妄想のニーズには添えなくて悲しい次第である。ごめん。)
続けよう。
今思うに、やっぱりエロは簡単に手に入ってしまったらドラマが生まれにくいものなのではと思う。過程はストーリーになる。
エロ本という、物質性を伴ったメディアはそんなストーリーを生み出す。エロ本がこのような思い出ストーリーになるのも、エロ本のコンテクスト自体が持っている"やや文化的な側面"が起こしたことだろう。
今の高校生にとってこんなスウィートメモリーになるエロコンテンツはあるのだろうか?
逆に簡単に得られるからこそ、そのコンテンツと現実との差異の中にストーリーが生まれるのかもしれないと推測してしまう。今度高校生と仲良くなったらそのあたりを色々と聞いてみようと思った。
余談:書いていて思ったのだが、また呼び名を”モコ”に変えてみようかなとか。
萌子さんじゃなくて、モコちゃんって言われたい。
おわり。