樋口一葉と女性のお友だち

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樋口一葉の「にごりえ」読んで鳥肌が立ちました。23歳の女性が書いた文章。そして、なんと、その舞台はお家から15分ほどの距離。

樋口一葉という女性。

 

萩の舎という令嬢が通う歌塾で、平民組でありながら才気あふれる一葉(奈津)。しかしながら父親は出資していた事業が失敗し膨大な負債を抱えたまま17歳の時に他界します。そして借金を理由に許嫁の渋谷三郎に婚約破棄され、夏目漱石家との縁談も破綻。彼女にいえぬ傷と過酷な現状が立ちふさがります。母と妹と三人で、困窮する家計を針仕事でなんとか凌ぎますが、そこは火の車でした。


その中で、一葉は小説を書くことで糧を得ることを知ります。非常に苦しい生活が続く中で妹の紹介により19歳の時に小説の師の半井桃水と出会います。彼は東京朝日の記者であり小説家でした。

半井の優しい言葉に一葉は心を溶かします。半井の厳しい指導とまなざしを心の支えに一葉は文章の腕を上げていきます。彼女が半井に恋心を抱いたのは必然でしょう。

 

しかしながら、当時は恋愛ですら男女間の噂に厳しい世の中。やもめの半井との噂を理由に絶縁を樋口は申し入れることになります。私は半井の優しさは本当だったと感じますし、一葉の才能を開花させたのは彼の受容だったのでしょう。

 

背丈が高く物腰柔らかな年上の男性の半井。一葉は強度の近視でありながら眼鏡をかけず、その姿をしっかりとは見えて居なかったようですから、彼女が見ていた世界の半井は、その声色や姿の色、その精神性だったのではないかと私は思います。

 

その短い時間の中に、彼女は二人の関係は深いものだったのかどうかと諸説がありますが、彼女の作品を読む限りでは一線を越えている気がします。それが肉体かどうかという、清らか、清らかでないと線を引くのは現代の野暮ったい価値観の話でしょう。

 

彼女が書いた小説は当時の遊女の女性たちの恋愛を描いた大衆小説です。彼女の許しを得ずに母親が原稿料を前借してくる為に、彼女は執筆に追われ非常に苦しんでいたようで、「たけくらべ」や「にごりえ」も前借りした原稿料の作品だったそうです。


そして、文壇に上がった彼女の家は当時の文学界の同人たちの集うサロンとなります。一葉と文人たちは外国文学や新しい文学の流れをそこで情報交換します。皮肉屋といわれた一葉。女主人というところでしょうか。

 

しかし、苦しみながらも活路を切り開こうとした樋口一葉は借金の困窮と過労の中、文壇に立ってたった14ヶ月。24歳で亡くなるのです。今の時代に合わせますと、丁度30歳位の女性の年齢感に近いのでしょう。

 

さて下世話な話でもいたしましょう。
にごりえの主人公の遊女お力は家庭を壊しながらも熱を入れる源に目もくれず、官僚の結城に熱を上げます。しかしながら、結城に胸を打ち明けるも「あなたは出世欲のある女性だ」と心は通わず。

 

と、なにか現代ではよく聞く話だとは思いませんか。もし一葉が現代に居たとすれば、このあとの続きをどのように展開させたでしょうかね?

 

ちょうど、昨日美容師の姉さん友だちとお話してまして、

「自分が一人で生きていける女性には男性は嗜好品よね」

みたいなことをおっしゃっていたり、

会計士の妹ちゃん友だちとお話しておりまして、

「週にデートで1日割かれるとして、わたしは時間を7分の6しか使えないと思ったら無駄だと思うのです」と。

 

婚活だなんだと、女性の賞味期限だなんだというのもそろそろ幻想になってしまうような予感。

 

もし彼女がこの時代に生きていたとすれば生活のために書いていた大衆小説はどのようになっていたかと。

美貌や淑やかさなどで巧みに結婚相手を探して結婚、体よく離婚する女の話とか書きそうですよね。ちょっと生々しいですね。笑

 

ちなみに、色々な方の人生の一端をお聞きするお仕事をしておりますと、自由になられた女性のみなさま口をそろえて仰いますのが、

「一人で生きていける確信が持てた瞬間にさようならを言いました」とね。

 

 

女性という生き物は逞しいものです。
今度、お散歩しながら樋口一葉記念館を訪ねてみようと思います。